

イランのスカーフ「ヒジャブ」着用問題について、日本・渋谷でも抗議集会が行われたようであるが、日本でやる価値ってあまりないのではないだろうか。日本でおこなれたとはいえ、在日外国人が写真には多く映っているが、多くの日本人には理解できないし、やる価値がないようにも思える。
日本人はイスラムになじみはない
欧米やアメリカでは、派手な抗議活動をしているのも報道されていたが、結局日本人にイスラムはなじみがないし、理解もできていないだろう。
日本人は一つの宗教に固執しないともいわれ、さまざまな宗教行事を生活に組み込む異質の国だ。
正月には初詣に神社に行き、お盆で先祖を迎え入れ、12月はクリスマスを祝う。お葬式も仏式が多いだろう。神道・仏教・キリスト教に何となく触れつつも、イスラム教にはさほど触れてこないのだ。
なじみもないし知らないのだから、そもそも意見がいいようがない。
イスラム国家である以上何もできないのでは
「イスラム」によって統治される国家は、現在においてもあるのだ。イラン・イスラム共和国はその筆頭であろうし、パキスタン、モーリタニアも国号にイスラム共和国を揚げている。アフガニスタンもタリバンが独立宣言した国家はイスラム制だ。
イスラム教を国教とする国は23か国あるのだ。国がそれを根本原理に挙げているのだから、外部からどうもできないとでもいえよう。
近代国家は、政教分離、信仰の自由が謳われることも多いが、そうでもない国があることを理解しなければいけない。そして、彼らにとってはその宗教が絶対であることも理解するべきだろう。
もちろん、中には私腹を肥やしている人もいるだろうし、特権を持っている人もいるだろう。でも結局のところそれが倒れないのは、他を知らないからという理由もあるかもしれないが、それを信じ、それが正しいと思っている人がいることに他ならないのではないだろうか。
それがルールといわれてしまうとどうしようもできない
日本で、ヒジャブを着用しようが別にいいだろう。もちろん、イスラムの風習自体を知らない人からすれば、どこでもスカーフを巻いていることに違和感を抱く人もいるかもしれないが、それは日本はイスラム国家ではないのだから仕方がないことだ。
スカーフを脱ぐことを強要するとなれば、問題もあろうが、結局宗教感が変わらないと、それが絶対であることなど分からない。イスラム国家出身の人であっても、熱心な人とそうでもない人はわかれるのだから、その国以外の人にとってはもっとわからない。
外国の国内で起こった出来事に対して、我々からアクションを起こすことは果たして適当なのか。日本からアクションを起こすのは果たして適当なのか。そこには疑問符がつかざるを得ない。
その国のルールはその国でしかわからないし、世界中ルールが一緒なら国家なんてわかれていないだろうし、紛争も起きないだろう。国家として成立している以上は、迫害に対して、手を差し伸べるという選択肢があるのかもしれないが、それ以上に他の国ができることなんてないだろう。
そう考えてみると、我々一般市民ができることからすると「おかしい」と声を上げるというよりも、どういう文化なのかを知ることぐらいしかできないような気もする。
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