政治家は、「記憶にない」といえば許されるのであれば、もはや知能などいらないのではないだろうか。
国会議事録における「記憶にない」
今国会のネタは、議事録が上がってからにするとして、今までの発言を見てみよう。

実に1152か所も議事録上に記録が残っている。これは、今国会の会議録はまだ反映されていないから、第208回までの国会で検索結果として出てくるのだ。とはいえ、会話の中で使われることもあるから単にこの件数が記憶喪失になった回数ではないことにご留意いただきたい。
まぁこういうようにクイズのなかで出てくる場合もある。

類義の言葉である「記憶にございません」のほうが記憶喪失の感じが増す。まぁとはいえ参考人がその回答をしているケースもある。(質問の聞き方が悪い説はある)


ここまで毎回揉めるならすべてを記録を取るように義務付けてしまえばいいのに。
記憶があるかないかでもめるだけで、無駄な時間を使っているように思えてならない。
最近話題の「統一教会」の会議録

これは、第210回国会(今国会)の参議院本会議第1号までが含まれた件数である。ものすごく今国会で発言されているでしょうからここから急に増えるのだろう。
例の事件の前(第208回国会)まででみると、有田芳生元参議が令和4年5月、平成30年4月、平成27年3月、平成25年6月、平成23年5月に発言している。小川淳也衆議が、平成26年10月に山谷大臣(当時)の写真についての話題がここでされる。
これより前となると、平成12年の分科会、平成11年の調査会(とはいえこれは北朝鮮問題)で、その前は平成8年に3度委員会で触れられている。オウム真理教事件の後は1度宗教法人がフォーカスされた時期でもあったのだろう。とはいえ、宗教法人法が変わるだけで終わったともいえよう。
当時から、「霊感商法」の話題は出ているのだ。そう、今と何ら変わらないのである。19日に突然岸田首相が「民法の不法行為は解散命令の請求する要件に当たる」としたが、果たしてどうなるのであろうか。
結局、政治家自身の命が脅かされないと、危機感ってものはないんですかね?
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