NHKが総務省から行政指導を受けたことに対してコメントを発表しているが、その中に「遺憾」というフレーズがある。果たして適切なのか。
NHKのコメント
総務省から行政指導を受けたことは誠に遺憾です。関係者のみなさま、視聴者のみなさまに深くお詫びいたします。今回の事態を重く受け止め、再発防止を徹底するとともに適正な業務体制を構築し、ガバナンスの強化に一層努めてまいります
受信契約案内のポスティング文書に対する行政指導について、NHK広報局、2022/12/14
「遺憾」とは
[名・形動]期待したようにならず、心残りであること。残念に思うこと。また、そのさま。「―の意を表する」「万―なきを期する」
weblioz辞典 デジタル大辞泉
と、「遺憾」という言葉に謝罪の意味は含まれるものではない。自らが行政指導を受けたことが遺憾というのはどういうことなのだろうか。
行政指導されないと思っていたのにされて残念に思っているのだろうか。これは暗に総務省を批判しているのだろうか。我々は別に法に反した行為をしていないのにも関わらず、行政指導をされたということなのだろうか。
ただ、その後に「重く受け止め、再発防止を徹底する」とある。これを見ると行政指導を受け入れる姿勢を示しているように見える。
明鏡国語辞典には以下のようにある。
い‐かん【遺憾】ヰ━ 〘名・形動〙 ❶ 思いどおりにならなくて、心残りなこと。残念。 「万々━のないように心して進め」 ❷ 事柄が不首尾で、到底容認できるものではないさま。よくない。まずい。 「住民側が市政に━の意を表明した」 「当社は今回の脱線事故を誠に━に思っている」 表現②は、取り返しのつかない行為に言って、相手側には非難の、自分側には釈明の言い方となる。謝罪ではない。
明鏡国語辞典
と、一応釈明の意味を提示している辞典もあるから、用例としてはこれだろう。しかし、このコメントは謝罪文のはずなのだ。それだと釈明として使っていてもおかしいように思う。やはりNHKのスタンスとしては、この総務省の行政指導が正当なものではないという意思表示をしているように見えてしまう。
遺憾は謝罪で使うべきではない
公共コミュニケーション学会の研究誌に、「遺憾」についての記述があるので紹介する。
● 「遺憾です」の意味
「事件事故対応の事例からクライシス・コミュニケーションの役割を改めて考える」、石川慶子、公共コミュニケーション研究 第3巻第1号、 pp.18-29, 2018/2/19
謝罪文章で避けた方がよい表現を解説する。最も多いのが,「遺憾です」「ご容赦ください」
「ご理解ください」。「遺憾です」は「思い通りではなく残念」という意味になるので,「お詫び」を伝える言葉ではない。「ミサイル発射は誠に遺憾である」は違和感がないのは,「残念さ」を表現しているからだ。いまだに危機管理マニュアルに「遺憾」をお詫びの表現として残しているケースが見られるので見直しする必要がある。
「ご容赦ください」は「赦してほしい」というこちらの願いであって,赦してほしいという自分の要望を先に伝えるのは最初の文章で表現するのは差し出がましいといえる。「ご理解ください」も同じ性質の言葉になる。辞職に追い込まれた首長が公金の使い方で問い詰められた際に連発した言葉でもある。
謝罪の失敗=クライシスコミュニケーションの失敗,となりますから,ここで失敗するとさらに炎上し,信頼回復の道は遠のいてしまう。普段の小さな失敗でも 5 要素を盛り込んだ謝罪をすれば相手に伝わりやすくなる。日常の小さな事故でも効果は実感できるはずなので積極的に活用してほしい。
やはり「遺憾です」は、謝罪文章においては避けるべき表現だと考えている人は一定層いるのだろう。Webで検索すると、個人ブログでも比較的に出てくるように思う。
私自身も、この記述の通りだと感じていて、ミサイル発射に対して「遺憾」と表現するのは、意味があるかないかは別として文章として理解はできるが、謝罪コメントで「遺憾」と表現するのは残念だといっているように聞こえてしまう。
謝りたいのだか、自分を正当化したいのだかよくわからないような表現をするのは無駄だろう。
今回の文章を直すのであれば、
「総務省から行政指導を受けたことを重く受け止めています。関係者のみなさま、視聴者のみなさまに深くお詫びいたします。再発防止を徹底するとともに適正な業務体制を構築し、ガバナンスの強化に一層努めてまいります。」
あたりでよいと思うのだ。「遺憾」という言葉を無駄に使うことで、謝罪文から謝罪する意思以外の無駄なものが存在してしまっているように思う。
日本語が勿論変化していくことはあるわけではあるが、メディアが不思議な使い方をしないでほしいものである。
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